明治後半から大正にかけて、日本でようやく近代時計産業が芽生え始めた頃、時計金属商・山﨑龜吉は「懐中時計を国産化したい」という決意を胸に、1918年(大正7年)シチズン時計の前身である尚工舎時計研究所を設立しました。
欧米製工作機械を輸入し、部品用工作機械は自社で製造、さらに優れた技術者育成のために時計学校も開設するなど、精密な製品づくりに苦戦しながらも、悲願の懐中時計製作に成功しました。
シチズン初の製品は時の東京市長であった後藤新平伯爵によって「永く広く市民に愛されるように」と「CITIZEN」と名付けられ、その時計の名前は社名にも取り入れられました。
1973年 腕時計が機械式からクオーツ式への転換する過渡期、シチズン独自のレゾナント・モーターを採用した本格的クオーツ式ウオッチを発売開始。
2012年 スイス高級機械式腕時計メーカーを傘下に持つProthor Holding 株式取得。機械式ムーブメントや部品の製造において業界屈指の会社であるLa Joux-Perret SA(ラ・ジュー・ペレ社)等を傘下に持つホールディングカンパニー 、プロサー社の株式を取得しました。